麒麟がくるの京都大河ドラマ館へ行ってきた。京都市北区北大路駅 不動産のミチテラス
コロナ禍の影響で、6月7日(日)放送の第21回「決戦!桶狭間」後、
いったん放送休止されるのを前に亀岡市の大河ドラマ館へ行ってみました。
JR亀岡駅前「サンガスタジアム」内という好立地にありながら、
平日のためか閑散としていました。
どんな経緯で球技上のバックスタンド下で開館したの?
亀岡市は大河ドラマ館の運営で、
当初5月末まで10万人の来客を想定していたが、
コロナ禍の影響で、これまでの来館者数は約3万人で
想定を大幅に下回っているようです。
途中閉館、番組自体も放送がいったん休止するなど、
災難が続いているなか致し方ないところもあるが、
なぜサンガスタジアムのバックスタンド下で開館しているのか疑問に思った。
福知山光秀ミュージアムでは福知山城公園の一角にあり、
台数は制限があるが駐車料金は無料であった。
亀岡にも明智光秀が築いた「亀山城跡」があり、
現在新宗教「大本」の所有物ではあるが、
明智光秀の往時を偲ぶことができる場所です。
近くには亀岡の古い町並みを散策することもでき、
開館場所にいささか不満を感じた。
そのため今回は入館するのに抵抗があり、スルーしてしまった。
光秀の面影を求め谷性寺まで足を延ばした
桔梗の寺とも言われる谷性寺です。
明智光秀公の首が祀られ、命日にあたる6月14日に回向が行われています。
また、毎年5月3日に開催される「亀岡光秀まつり」では、
ここで追善供養が行われています。
初夏には明智家の家紋である桔梗が咲き乱れ、
訪問時は6月初旬のため少し早かったようです。
境内を入るとすぐ左手に光秀公の首塚があります。
丹波を平定した光秀は不動明王を厚く崇敬し、
織田信長を討つべく本能寺に向かう際には当寺で誓願したとのこと。
その後山崎の戦いに敗れた光秀ですが、
光秀の介錯をした溝尾庄兵衛は光秀の首を近臣に託し
生前に信仰していた谷性寺へと運び葬ったとされています。
蒸し暑い初夏の昼下がり、感慨深く光秀公を偲びました。

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